2013年12月14日

辛酸なめ成長した「LINE」




 無料通話アプリ「LINE」の成長が著しい。ユーザー数は国内で5千万人、世界で3億人を超えた。彗星のごとく現れたかに見えるLINEだが、実は辛酸をなめた時代の方がはるかに長い。

 LINEの前身であるNHNジャパンは、韓国のネット大手NHNの子会社として2000年に日本に進出。主力は検索サイト「NAVER」とオンラインゲームの「ハンゲーム」で、いずれもパソコン向けのサービスだった。だがNAVERは浸透せず、05年に撤退。07年にニューバランス スニーカー再参入したが、ヤフーとグーグルという壁が立ちはだかった。ハンゲームも「ガラケー」にユーザーを導き損ね、DeNAやグリーに寡占を許した。

 「端末の主役がスマホへと移る中、ここで競合に先行しなければ会社がつぶれる」

 森川にはそんな危機感があった。開発チームを率いたのが事業戦略担当執行役員の舛田淳(36)。当初、サービス候補には「コミュニケーション」を切り口にゲーム、写真共有、メッセージの三つが挙がったが、舛田はメッセージに注力する方針を打ち出す。世界ではすでにフェイスブックやツイッターが隆盛を極めていたが、勝算はあった。

「フェイスブックのマーク?ザッカーバーグは地球上の70億人をつなぎたいと言った。それがネットの可能性である、と。理解はするが、少し怖い。我々は真逆をいこうと考えた」

 不特定多数の人をつなぐ既存のSNSは、やり取りが「オープン」に交わされるため不都合も伴う。例えばツイッターは知人に語りかけるつもりでつぶやいたことが、見知らぬ人にリツイートされ炎上したり、拡散が止まらなくなったりすることもある。舛田が目ニューバランス レディース指したのは、もともとつながっている家族や友人などの関係をさらに深める「クローズド」なコミュニケーションツール。それが、スマホの電話帳の中の「友だち」とだけつながるLINEだった。
 
 11年3月に東日本大震災が起き、「絆」の尊さが再確認される中、コンセプトに確信を得たチームは急ピッチで開発に取り組んだ。「大切な人とつながるホットラインに」。LINEという名称にはそんな思いが込められた。当初、100万人が目標だったユーザー数は、半年で1千万人を超えた。
posted by wanerbener at 16:48| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

小川誠子六段の「おかっぱ本因坊」時代


女流本因坊3期(前身である女流選手権の2期を含む)、女流鶴聖1期と、女流碁界の歴史に確実な足跡を残してきた小川誠子(おがわ?ともこ)六段。

その名前が囲碁ファンの間に知れ渡ったのは1970(昭和45)年のプロ入りよりもかなり早い、1965年のことだった。女流アマチュア選手権戦において、14歳になったばかりの少女が日本一になったのである。小川六段に入門前後の少女時代を聞いた。

(当時の写真を眺め、しみじみと)懐かしいですね。ちょうど14歳になったばかりですね。「おかっぱ本因坊」とか呼んでいただいて…。このニューバランス996大会は優勝候補本命の方がおられて、私はダークホース的な存在でした。ですから全然プレッシャーがなく、気が付いたら決勝戦に進んでいました。その決勝の相手も普段から勝てない方だったのですが、石が取れてしまって優勢になったのです。

そのときふと相手の方を見たら、涙を流しておられまして、本当にドキッとしました。勝てる喜びと同時に身が引き締まる気がして「もし私が将来プロになったら、こういう思いをしなければならないのか」と、子供心に考えさせられたものです。優勝できたことがうれしかったことはもちろんですが、このことも強い思い出として残っています。

あと、私の出身地は福井県なのですが、教えていただいていた中部総本部所属の酒井利雄先生(故人?八段)が喜んでくださって、すごくうれしかったことも覚えています。

そして、この優勝がきっかけとなって木谷實先生(故人?九段)に声をかけていただき、名古屋より上京して内弟子として入門することになるのですかニューバランス1400ら、私にとってはものすごい転機の優勝だったということになるわけですね。

囲碁雑誌で見て知っていた憧れの木谷道場ですからね。不安よりもワクワク感のほうが大きくて上京したのですが、初めて泊まらせていただいた翌朝の光景が、今も忘れられません。7時半くらいに起きて2階の勉強部屋に上がっていったのですが、そこではもう先輩の内弟子たちが皆、勉強していたのです。その姿を見てドキッとして「ああ、私は本当にこの世界でやっていくんだなあ。やっていけるかしら」という思いと「よし、この世界で頑張ろう!」という思いが交錯したものでした。

当時の弟子のメンバーですが、大竹英雄先生はもう独立しておられて、石田芳夫さん、加藤正夫さん、武宮正樹さん、小林光一さん、趙治勲さんを筆頭に、そうそうたる方たちがおられました。本当にすごい顔ぶれで、まさに黄金時代だったと思います。こうした人たちの修業時代を見せてもらい、一緒に過ごせたというのは、私にとって何よりの財産――実に幸せなことだったと思っています。
posted by wanerbener at 16:45| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

再び揺れているタイ


 2006年にクーデターにより首相の座を追い出されたタクシン元首相の妹、インラック現首相の退陣を求めてデモ隊が座り込みを続けており、12日にはデモ隊が一時首相府の壁を乗り越え敷地内に侵入するなど緊迫した状況が続いている。

 インラック首相は12月9日に解散総選挙という最大の譲歩を見せ、来年2月2日に選挙が行われることになったが、デモ隊とそれを率いる民主党側は選挙をニューバランス ランニングシューズ経ない彼らの政権樹立を要求しており、今、解決の糸口の見えない泥沼へと転がり落ちようとしている。

 しかし、多少の衝突はあり、若干名の死傷者が出ているものの、ここ数年間繰り返されてきた反政府集会の武力による強制排除の反省を踏まえてか、もしくは今回のきっかけとなったタークシン氏の恩赦法案の負い目があるからなのか、政府から警察に強制排除などの指示は出ていないようだ。

 また、その背景には警察内部の事情もある。

「警察内部でもタクシン派と反タクシン派がいる。その部門の長がどちらかによって出世にも影響するほどだ」(タイの警察幹部)

 つまり、仮に武力行使に出ようとしても、情報が筒抜けで、どういった事態になるか読めないのだ。

「今回、インラック首相が危険を察知して、都内某所にある警察関連施設で業務をすることになったが、内部の反タクシン派がデモ隊に密告して、あっという間に取り囲まれてしまった」(同)

◆座り込みの現場はお祭り騒ぎのよう。しかしデモ隊以外の視線は冷ややか

 そんな泥沼の睨み合いが続く中、記者は現在デモ隊が座り込みをする中心地であるバンコクの西側にある民主記念塔前に足を運んでみた。

 民主記念塔前には。地方からのニューバランス 574遠征組が大通りを封鎖して座り込み、バンコク在住者が時間のあるときに現れて、主導者が開催する演説や歌謡ショーに耳を傾けている。

 そして、周囲には数千人規模のデモ隊に商機を見出した人々が屋台を開き、グッズや食べものを販売している。周辺の食堂やレストランも24時間体制で常時満席だ。

 販売されるグッズは、今回のデモのメインアイテムであるタイ国旗の色のストラップに下がった笛だ。また、Tシャツや旗、リボンなども売られ、デモというよりもお祭り騒ぎにしか見えない。

 南のきれいな海で知られるクラビー県からやってきた女性は、ござに座って道行く人々に「がんばって闘おう!」と声をかける。いつまでいるのかという問いに「我々が勝利するまで」と応えた。しかし、この間、収入などはどうするのか。

「クラビーから民主党がバスを出してくれたので来ました。村から数名ずつで、私の旦那や弟は残って仕事をしているから大丈夫です」

 そう彼女は答えたが、実は記者が収入について訊ねたのにはわけがある。今回のデモであれ、タクシン派がまだ反政府側だったときのデモであれ、デモ参加者には日当が支給されているという話があるからだ。

 こうした「日当支給」の噂はそこかしこで聞かれ、デモ隊が居座る目の前にある会社の守衛も「あいつら、カネもらってるんだよ。500バーツから1000バーツはもらっている」と吐き捨てるように言っていた。

 このように、選挙を経ないでの政権交代という到底民主主義とはかけ離れた主張をする今回のデモに対し、冷ややかな視線を送り始める人も出始めている。

 在タイ日本人のきよさん(仮名)はこのように語る。

「あくまでも私の個人的感覚ですが、今回のデモ騒動はどうしても支持者が情報に騙されている感じが否めないんです」

 デモを支持するタイ人が彼女の勤める日系企業にも多く、中にはデモ隊側が主張する「タクシン氏が共産主義的」という意見を全面的に真に受けている人も少なくない。しかし、彼女にはそれがしっくりこないという。

「むしろ今回デモで動いている人のほうが共産主義的思想に動かされているような気がしてならないです」

 ほかのタイ人同僚は「タクシンは考え方がビジネス的だから、彼が政権に戻ったら公共事業も金儲けの対象となり、民営化され公共料金が高くなって生活が大変になるからみんな反対してるんだ」と言うそうだ。それに対し、彼女が「それは誰が言ったの?」と訊くと「みんなそう言ってる」としか返ってこなかったのだとか。

 結局、今回の反政府集会の活動はどこに向かいたいのかがよくわからない。せっかく景気のよかったタイの経済にも大きな影響が出る懸念も残る。

「今のところ、すでに予約をいただいている方のキャンセルはありませんが、タイ旅行を検討されていた方の行き先変更の動機になりうる事態です」

 バンコクの日系旅行会社の副社長が話した。今は武力衝突などの大騒動にまでなっていないので大きな影響はまだないが、2010年のタクシン派による反政府集会の騒動のようになったら、観光収入の割合が高いタイは致命的な打撃を受ける可能性がある。

 日本人向けのクラブが並ぶタニヤ通りの日本人従業員は、「2011年の洪水のときがそうでしたが、バンコク全体が危ないという報道を信じて観光客が激減したので、今回もそれが心配ですよ。あくまで座り込みをしているエリア限定で、それ以外は今のところ問題がないと強調してほしいです」という。

 飲食店などは観光客だけでなく、在住者が安全のために外出を控えることでも大きな売上減に繋がる。そのため、飲食や物販の経営者たちは、今のところ、という条件付けがあるものの「バンコクは生活も観光も問題ありません!」と主張する。

 12月9日に「今日、デモの動向が最終的に決定される」とされたが、それ以来毎日「今日が最終決戦の日」と言われ続けている。

 今日もまだデモ隊は座り続け、大半の市民や在住外国人は冷ややかにテレビでデモ隊の動きを見ている。
posted by wanerbener at 16:42| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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